11.23.21:00
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11.09.15:32
鹿児島県内高校の国公立大学合格実績
鹿児島県内の公立高校の国公立大学の合格実績が、昔に比べて低下したと言われています。たとえば、昔であれば鶴丸・甲南・鹿児島中央では九大合格者数が100人近くいたとか、越えていたとかそういう話がでます。しかし、それ以外はデータで示されたものはあまりありません。
そこで今回は、鶴丸高校の難関国公立大学の合格実績について掲載してみたいと思います。
昔は、鹿児島県内の私立の進学校は、ラ・サール高校のみでしたが、その後、志学館や池田学園などの中高一貫教育校が出てきており、これらの高校との関係を頭に入れておく必要があります。
鶴丸高校の難関国立大学の合格実績の状況は下表のとおりです。
鶴丸高校の定員は、最大で550人となっています。
国公立大学の入試の変遷は以下のとおりです。
①昭和24(1949)年度から53(1978)年度までは、「一期校・二期校」 時代 (東大などの旧帝大系は一期校)で、旧帝大の併願は不可能でした。
②昭和54(1979)年度から61(1986)年度までは「入試期日の一本化」 と「共通第一次学力試験」 時代で、受験機会が1回となりました。ただし「共通第一次学力試験」 は平成元年度まで継続されました。
③昭和62(1987)年度以降は、新たな 「受験機会の複数化」 時代 (当初東大はB日程グループ、その後平成2年度から原則的分離分割方式へ)となり、昭和62(1987)年、昭和63(1988)は、東大・京大のダブル合格者が多くでました。
東大合格者数は、1972年度の31人が最高で、1983年度、1999年度、2001年度に29人となっています。
京大合格者数は、東大・京大の併願が可能となった1987年度から1991年度に多くなり、最高で17人となっています。
旧帝大の合格者数は、1974年度に最高の128人となっていますが、卒業生数に対する割合を見ると、2001年度が29.8%(119人)で最高となっており、近年は80人台となっており、卒業生数に対する割合は28%台と高くなっています。
これは、定員数の減少に比較して、学力上位層の減少が少ないことが起因していると考えます。
定員数の減少から相対的に難関国立大学の合格者数は減少傾向にありますが、一方で卒業生数に対する割合は高くなっていることから、現状を維持しているものと想定されます。この要因のひとつは、志望校を変更せず、浪人生で合格する割合が高くなったことが起因しています。
医学部を含めると、卒業生数に対する割合は、2005年度に40%に達した以降4年間30%台で推移しましたが、2010年度、2011年度には40%を越えました。
2012年度は、定員320人の卒業生が出た2008年度以降、旧帝大、難関国公立大学(医学部含む)とも最も少ない年度でした。かなり浪人生が多いと思われ、2013年度は合格者数が増加するものと想定されます。
志学館高等部の1回生の卒業は平成5(1993)年度、池田学園池田高校の1回生の卒業は翌年の平成6(1994)年度です。特に、それ以降で大きな変化はありません。
平成10(1998)年度は、東大に志学館高等部6人、池田学園池田高校4人が合格していますが、その年鶴丸高校は26人が合格しています。このため、鶴丸高校はあまり大きな影響は受けていないようです。
鶴丸高校の難関国立大学合格実績 【 】は、旧帝大合格者 ( )は卒業生数に対する割合
1975年の東大合格者数は、鶴丸高校100周年記念誌による。
そこで今回は、鶴丸高校の難関国公立大学の合格実績について掲載してみたいと思います。
昔は、鹿児島県内の私立の進学校は、ラ・サール高校のみでしたが、その後、志学館や池田学園などの中高一貫教育校が出てきており、これらの高校との関係を頭に入れておく必要があります。
鶴丸高校の難関国立大学の合格実績の状況は下表のとおりです。
鶴丸高校の定員は、最大で550人となっています。
国公立大学の入試の変遷は以下のとおりです。
①昭和24(1949)年度から53(1978)年度までは、「一期校・二期校」 時代 (東大などの旧帝大系は一期校)で、旧帝大の併願は不可能でした。
②昭和54(1979)年度から61(1986)年度までは「入試期日の一本化」 と「共通第一次学力試験」 時代で、受験機会が1回となりました。ただし「共通第一次学力試験」 は平成元年度まで継続されました。
③昭和62(1987)年度以降は、新たな 「受験機会の複数化」 時代 (当初東大はB日程グループ、その後平成2年度から原則的分離分割方式へ)となり、昭和62(1987)年、昭和63(1988)は、東大・京大のダブル合格者が多くでました。
東大合格者数は、1972年度の31人が最高で、1983年度、1999年度、2001年度に29人となっています。
京大合格者数は、東大・京大の併願が可能となった1987年度から1991年度に多くなり、最高で17人となっています。
旧帝大の合格者数は、1974年度に最高の128人となっていますが、卒業生数に対する割合を見ると、2001年度が29.8%(119人)で最高となっており、近年は80人台となっており、卒業生数に対する割合は28%台と高くなっています。
これは、定員数の減少に比較して、学力上位層の減少が少ないことが起因していると考えます。
定員数の減少から相対的に難関国立大学の合格者数は減少傾向にありますが、一方で卒業生数に対する割合は高くなっていることから、現状を維持しているものと想定されます。この要因のひとつは、志望校を変更せず、浪人生で合格する割合が高くなったことが起因しています。
医学部を含めると、卒業生数に対する割合は、2005年度に40%に達した以降4年間30%台で推移しましたが、2010年度、2011年度には40%を越えました。
2012年度は、定員320人の卒業生が出た2008年度以降、旧帝大、難関国公立大学(医学部含む)とも最も少ない年度でした。かなり浪人生が多いと思われ、2013年度は合格者数が増加するものと想定されます。
志学館高等部の1回生の卒業は平成5(1993)年度、池田学園池田高校の1回生の卒業は翌年の平成6(1994)年度です。特に、それ以降で大きな変化はありません。
平成10(1998)年度は、東大に志学館高等部6人、池田学園池田高校4人が合格していますが、その年鶴丸高校は26人が合格しています。このため、鶴丸高校はあまり大きな影響は受けていないようです。
鶴丸高校の難関国立大学合格実績 【 】は、旧帝大合格者 ( )は卒業生数に対する割合
年度 |
卒業 生数 |
東 大 |
京 大 |
阪 大 |
東 北 大 |
名 大 |
九 大 |
北 大 |
旧帝大計 |
一 橋 大 |
東 工 大 |
小 計 |
合 計 |
医 学 部 |
合計 |
2012 | 310 | 12 | 7 | 4 | 1 | 0 | 37 | 0 | 61(19.7) | 3 | 7 | 10 | 71(22.9) | 16【1】(5.1) | 86(27.7) |
2011 | 311 | 25 | 6 | 14 | 4 | 3 | 37 | 1 | 90(28.9) | 4 | 4 | 8 | 98(31.5) | 32【1】(10.3) | 129(41.5) |
2010 | 306 | 15 | 4 | 15 | 3 | 2 | 48 | 0 | 87(28.4) | 7 | 2 | 9 | 96(31.4) | 32(10.5) | 128(41.8) |
2009 | 310 | 14 | 4 | 12 | 3 | 3 | 45 | 1 | 82(26.5) | 7 | 2 | 9 | 91(29.4) | 24【3】(7.7) | 112(36.1) |
2008 | 312 | 22 | 6 | 10 | 0 | 2 | 47 | 1 | 88(28.2) | 7 | 4 | 11 | 99(31.7) | 22【3】(7.1) | 118(37.8) |
2007 | 351 | 16 | 3 | 10 | 2 | 1 | 33 | 1 | 66(18.8) | 5 | 1 | 6 | 72(20.5) | 32(9.1) | 104(29.6) |
2006 | 357 | 21 | 9 | 4 | 0 | 1 | 46 | 0 | 81(22.7) | 5 | 3 | 8 | 89(24.9) | 23(6.4) | 111(31.1) |
2005 | 360 | 21 | 7 | 13 | 1 | 2 | 46 | 1 | 91(25.3) | 11 | 7 | 18 | 109(30.3) | 38【3】(10.6) | 144(40.0) |
2004 | 399 | 22 | 2 | 9 | 2 | 3 | 43 | 1 | 82(20.6) | 7 | 6 | 13 | 95(23.8) | 27 (6.8) | 118(29.6) |
2003 | 396 | 17 | 11 | 7 | 0 | 3 | 36 | 1 | 75(18.9) | 3 | 2 | 5 | 80(20.2) | ||
2002 | 400 | 24 | 9 | 8 | 1 | 1 | 41 | 5 | 89(22.3) | ||||||
2001 | 399 | 29 | 9 | 6 | 3 | 4 | 66 | 2 | 119(29.8) | 12 | 6 | 18 | 137(34.3) | ||
2000 | 397 | 14 | |||||||||||||
1999 | 428 | 29 | 8 | 12 | 2 | 2 | 55 | 1 | 109(25.5) | 6 | 4 | 10 | 119(27.8) | 44(10.3) | 163(38.1) |
1998 | 452 | 26 | 9 | 56 | 91(20.1) | 5 | 6 | 11 | 102(22.6) |
樟南文理1回生卒業 鹿実文理1回生卒業 |
|||||
1997 | 451 | 7 | 6 | 13 | 0 | 3 | 41 | 3 | 73(16.2) | 5 | 6 | 11 | 84(18.6) | ||
1996 | 448 | 18 | 12 | 7 | 3 | 3 | 39 | 2 | 84(18.8) | 6 | 5 | 11 | 95(21.2) | ||
1995 | 455 | 20 | 4 | 17 | 3 | 1 | 40 | 0 | 85(18.7) | 6 | 6 | 12 | 97(21.3) | ||
1994 | 448 | 26 | 8 | 12 | 3 | 2 | 57 | 3 | 111(24.8) | 8 | 8 | 16 | 127(28.3) |
池田学園池田1回生卒業
45
|
172(38.1) |
1993 | 499 | 19 | 9 | 3 | 4 | 4 | 43 | 0 | 82(16.4) | 18 | 4 | 22 | 104(20.8) |
志学高等部1回生卒業
58
|
162(32.5) |
1992 | 512 | 17 | 8 | 11 | 4 | 2 | 56 | 5 | 103(20.1) | 21 | 8 | 29 | 132(25.8) | 55 | 187(36.5) |
1991 | 491 | 15 | 15 | 14 | 4 | 1 | 48 | 2 | 99(20.2) | 13 | 3 | 16 | 115(23.4) | ||
1990 | 500 | 12 | 14 | 8 | 4 | 1 | 35 | 2 | 76(15.2) | 8 | 4 | 12 | 88(17.6) | ||
1989 | 494 | 15 | 17 | 8 | 4 | 8 | 60 | 4 | 116(23.5) | 6 | 6 | 12 | 128(25.9) | ||
1988 | 494 | 11 | 15 | 16 | 3 | 1 | 46 | 0 | 92(18.6) | 12 | 5 | 17 | 109(22.1) | ||
1987 | 498 | 15 | 16 | 12 | 3 | 3 | 69 | 0 | 118(23.7) | 9 | 8 | 17 | 135(27.1) | ||
1986 | 485 | 12 | 3 | 11 | 2 | 1 | 43 | 2 | 74(15.3) | 7 | 4 | 11 | 85(17.5) | ||
1985 | 493 | 19 | 9 | 12 | 2 | 2 | 45 | 3 | 92(18.7) | 11 | 5 | 16 | 108(21.9) | ||
1984 | 503 | 19 | 3 | 10 | 2 | 1 | 30 | 2 | 67(13.3) | ||||||
1983 | 495 | 29 | 2 | 11 | 3 | 1 | 50 | 1 | 97(19.6) | ||||||
1982 | 500 | 16 | 6 | 6 | 3 | 4 | 48 | 2 | 85(17.0) | ||||||
1981 | 499 | 18 | |||||||||||||
1980 | 493 | 26 | 11 | 2 | 3 | 2 | 50 | 2 | 96(19.5) | 8 | 3 | 11 | 107(21.7) | ||
1979 | 494 | 20 | 8 | 7 | 3 | 1 | 56 | 1 | 96(19.4) | 11 | 11 | 107(21.7) | |||
1978 | 547 | 19 | 9 | 5 | 68 | 1 | 102(18.6) | ||||||||
1977 | 547 | 25 | |||||||||||||
1976 | 513 | 16 | |||||||||||||
1975 | 496 | 21 | 1 | 5 | 85 | 112(22.6) | |||||||||
1974 | 511 | 20 | 9 | 99 | 128(25.0) | 13 | 13 | 141(27.6) |
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